苦しい思い出
小学1~2年生の頃作文が苦手だった僕が特に、
「誰かさんが言った言葉を書く時は「かぎ括弧」をつけて「と テン いいました マル」と書くのよ」
と、教えられてからはどう書けばいいのか苦しんだものだった。
例:朝先生に「おはよう」と、いいました。
と、書くところを
例:あさせんせいに「おはよう」と、ゆいました。
と、常用している言葉が頭の中を占拠して『ゆいました』とついつい書いてしまい消しゴムを出して『いいました』と、書き直していた。
『ゆった』『ゆわん』『ゆやあいい』『ゆいな』『ゆう』『ゆえ』『ゆをう』などという言葉が作文の時間に大いに悩ました。
辞典を使い始めてからはますます混乱が深まり『ゆう』とか『ゆい』を調べても出てこないので仕方なく『云う』を『言う』の替わりに使っていた。手書きで書いていたので『言う』を行書で書いている気分で『云う』と書いて満足していた。
口語文と文語文の違いを知り、『ゆう』は口語で、『言う』は文語と大きな勘違いに満足して納得していた。
浜松の方言を調べはじめてから小学校での作文の時間にいつも苦しい思いをさせていたのは方言であったのが解かった。
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