6/14/2019

今日はチョンチョンだった

今日はチョンチョンだった

方言は知らぬが仏の話である。
恥ずかしく口に出せぬ言葉を平気ではないた時の話。

「お父さん何処へいらっしゃったんですか」
と、新婚ほやほやの息子の嫁が聞くので靴を脱ぎながら
「やまへ行ってきたが、チョンチョンだった。」
「そんな薄着で」
「その革靴で」
「ガラス張りんとこからみてたもんでなんにも寒くないよ」
「ガラスの張ってある山は何処にあります」
と、矢継ぎ早に質問してきた。
「あー、オートのこん、いやオートレースのこんだよ。あそこで取ってりゃあなあ、まあチョンチョンだでいいか。」
「なにがチョンチョンなんですか」
「チョンチョンって何ですか」
と又も問い掛ける。
「勝ち負けなし、プラマイゼロ、おあいこのこんだよ。」
と、応えながらチョンチョンに関わる若い頃のおもしろい話を思い出した。
 
紙を貼り合わせてはみ出した部分を鋏で切っている時の話である。
「ここんとこ鋏でチョンチョンと切ってけっこくしといて、俺ん こっち やっとくで」
「おー、チョンチョンとだな」
「そーだ、チョンチョンとな」
二人はすぐ隣に佐賀出身の課長がいたことと、チョンチョンがなにを意味するかを知っていた。
「おー、チョンチョンとぞ」
「そー、チョンチョンとな」
と、
「チョンチョン」を何度も繰り返していたら
「お前らいつまで下らんことを大きな声で話してる」
と、大きな怒鳴り声がする。
振り返ると顔を赤くした課長が恥ずかしそうな顔をして睨んでいた。
同様な言葉を浜松の方言で言えないしまして書くことなど恥ずかしくて出来ない。持つ意味も知らないため恥ずかしいことを平然と口に出してしまう方言が持つ地域性を意識したできごとだった。


 

6/13/2019

ちっともいごかんベンチ

ちっともいごかんベンチ 

方言が外国語以上に通じない話である。
北海道へ仕事で行った時丸太で作ったベンチが邪魔になり現地の人と運んだ時の大笑いした話。
 
浜松の人:しょうがないなあ、ふたりで運ばまいか。
兄ちゃん:うん。
浜松の人:ちょっと重そうだがいいか、はこべるか?
兄ちゃん:うん。
浜松の人:おれんこっちさげるでそっちもてよ。
兄ちゃん:-----。
浜松の人:さあさげるか。そっちさげよよー。せえーの。
兄ちゃん:-----。
浜松の人:なにやってるだあ。さげにゃあだめじゃんか。
兄ちゃん:-----。
浜松の人:さあさげるぞ。せえーのー。
兄ちゃん:-----。
     
持って上げようとするが直ぐ降ろしてしまう。
浜松の人:なにやってるだあ。力ん無いのか?そんないい体してるだに。
     もたもたしてちゃかんで、はやくやるか。
浜松の人:さあさげるぞ。せえーのー。
兄ちゃん:-----。
     
又も降ろしてしまう兄ちゃんにむかって
浜松の人:そっちをさげにゃあもってけんだで。
     
と、言いながらはっと気がついた。
浜松の人:なんだあ、さげるってゆってるもんで、降ろいたんだなあ。あっはははは。
     
わるかった。さげるっちゅうのは上げるちゅうこんさ。さあ、あげるぞ。
浜松の人:せえーのー。
兄ちゃん:せえの。
 
 
やっとのこんでベンチを運べたっちゅう話。
 

苦しい思い出

苦しい思い出
小学1~2年生の頃作文が苦手だった僕が特に、
「誰かさんが言った言葉を書く時は「かぎ括弧」をつけて「と テン いいました マル」と書くのよ」
と、教えられてからはどう書けばいいのか苦しんだものだった。

例:朝先生に「おはよう」と、いいました。
と、書くところを

例:あさせんせいに「おはよう」と、ゆいました。
と、常用している言葉が頭の中を占拠して『ゆいました』とついつい書いてしまい消しゴムを出して『いいました』と、書き直していた。

『ゆった』『ゆわん』『ゆやあいい』『ゆいな』『ゆう』『ゆえ』『ゆをう』などという言葉が作文の時間に大いに悩ました。
辞典を使い始めてからはますます混乱が深まり『ゆう』とか『ゆい』を調べても出てこないので仕方なく『云う』を『言う』の替わりに使っていた。手書きで書いていたので『言う』を行書で書いている気分で『云う』と書いて満足していた。
口語文と文語文の違いを知り、『ゆう』は口語で、『言う』は文語と大きな勘違いに満足して納得していた。

浜松の方言を調べはじめてから小学校での作文の時間にいつも苦しい思いをさせていたのは方言であったのが解かった。

6/12/2019

あらいあげ

あらいあげ  

浜松では食後に奥さん達がする食器洗いをして片付けをすることを
『あらいあげ』と言うが共通語ではなんと言うのだろうか?

調べたところ「食器を洗う」とか「後片付け」と、言い
「後で食器洗っておいて~」とか「片付け頼むね~」
と、言うようで、けっして
「あらいあげしといて」とは言わないようだ

推理小説の警察が出てきて
「洗い終える」とか調べて暴くときに
「洗い上げる」と使うらしいが、
”食後の食器洗いから後片付け”までをひっくるめて
『あらいあげ』と言うのは浜松の方言だ。
「あらいあげしちゃってからいくでちーっとまってて」とか、
「なんにもしやへんだであらいあげくらいしっせえ」などと、
『あらいあげ』は現在も使われている。


 昔は洗濯も盥と洗濯板で冷たい水に手を突っ込んでしていたのが現代では衣類をいれ蓋をして特に注意しなくて良いものはスタート釦を押すだけで済み盥や洗濯板がほとんどの家に無くどんなものかも知らぬ子供も多い。

食器洗い器が多くの家庭に設置され、洗剤を含んだスポンジでする食器洗いをさす『あらいあげ』と言う言葉も盥や洗濯板と同じように死語になるのだろうか?

とんで来い

とんで来い
デパートの屋上に回転飛行機や汽車ぽっぽがある頃の東京に住んでるいとこの話である。子供を連れて来たので唯一の遊園地のデパートの屋上へ行き子供達を遊ばせている時に友達が隣のビルの屋上に母親らしき人と連れ立って来ているのを見つけ大きな声で呼び合っていた。
「○○ちゃーん。ちゃっととんで来なー」
「わかったー」
と言い後ろに下がった。
「えー。あのここの間をとぶの」
と、思っていたら、暫くして向うのビルにいた髪の長い少女が後ろから額に汗を流しながらやって来た。
「おまちどうさま。」と。

6/11/2019

とんでる生徒たち

とんでる生徒たち
研修に来た学生がスリッパに替えてこの学校はとキョロキョロすると、板壁に注意書が貼ってある何処にでもあるがその文章を読んでびっくりした。
「ローカでとんではいけません」と、大書きしてある。
「この学校はスーパーマン育成スクールか、それともパーマンが通ってる」と、疑問を抱きながら歩いていると、生徒が横をバタバタと新しい先生の顔を窺いながら走り抜けて行く。
「コラー、ローカをとんじゃいかんちゅうのがわからんかー」
と、迎えに出た先生が怒鳴りつけていた。
2005/09/28 15:09